医局という言葉は現在使われなくなったのですが、私にとっては今もつい使ってしまいます。そもそも医局というのは教授をピラミッドの頂点にして助教授、講師、そして一番下の土台となる医局員から構成される集まりとよくたとえられます。私はこの制度は良かったと思います。というか私の属した弘前大学整形外科の医局制度が良かったのでしょう。大学を卒業して医師免許を持ってすぐ仕事はできません。本当のことを話すとまったく何もできない。注射はおろか薬の名前までしらないのです。そのため先輩に金魚のふんみたいにくっつき必死に勉強します。寝る間もなく勉強して1年もたつとなんとなく医者らしくなり、その後も段階を踏んで技術を教えていただきました。外科系は本を読んでもダメです。先輩の手術を見て必死でコツを盗んで覚えるということを繰り返して成長していきます。そして3年くらいになると簡単な手術はできるようになってきます。つらい時期もありましたが運のいいことに手術の上手な先生の下で働くことができました。今の僕があるのも弘前大学の医局のおかげと思っています。
先日大学医局の送別会がありました。5名が医局を離れ開業または民間病院などに勤務となります。その中の一人が4月より平和病院に来ます。一人大学の医局員を減らすことになりますが、僕としては地域の皆様によりよい治療を行い患者様のために働くことが最大の医局に対する恩返しと思っておりますので、さらにがんばろうという気持ちになりました。たまに大学に顔を出すと若い先生が多く、活気がありいいですね。まだまだ若い力には負けないように努力していきたいと思います。
先日大学医局の送別会がありました。5名が医局を離れ開業または民間病院などに勤務となります。その中の一人が4月より平和病院に来ます。一人大学の医局員を減らすことになりますが、僕としては地域の皆様によりよい治療を行い患者様のために働くことが最大の医局に対する恩返しと思っておりますので、さらにがんばろうという気持ちになりました。たまに大学に顔を出すと若い先生が多く、活気がありいいですね。まだまだ若い力には負けないように努力していきたいと思います。
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